E-as

父と弟と歩んだ人生をかけた物語

相続・事業承継 M&A事業をスタートするきっかけとなった「父と弟と歩んだ人生をかけた物語」

「余命3ヶ月の末期がん」
父がそう宣告されてから亡くなるまでは、あっという間だった。
あの頃、私は不動産会社で毎日慌ただしく働いていた。

「末期の状態だったとはいえ、もっと父と話しておけばよかった」
「病に冒される前から、もっとコミュニケーションをとっておけばよかった」
後悔しても、時が戻ることはない。
そう理解していても、ついそんな事を考えてしまうのには理由があった。

父が旅立ったのは、「危篤」の連絡を受け、
急いで実家に向かっている途中のことだった。
私は、新幹線の車内で呆然とした。

その時点で、父の会社について、
何の引き継ぎもできていなかった。

父の他界により事業継承したのは、介護施設運営会社だった。
従業員は30名ほどで、ちょうど2棟目の介護施設を建築中であった。
心強かったのは、弟がこの会社の介護の現場で働いていたことだ。

この事業継承をきっかけに、10年ほど勤めていた不動産会社を辞めた。
そして、父が遺した介護の会社の経営と、不動産事業の継続のために、
恵比寿の地に、いまのE-as株式会社を設立したのである。

父からの引き継ぎもない。
介護の世界の知識もない。
企業の経営の経験もない。
「ないもの尽くし」で何からはじめていいか、
まったくと言っていいほど、わからない状況ではあったが、
とりあえず、会社の経営状況の把握をしてみることにした。

表面上はギリギリであるが黒字ではあった。
しかし、預金はほぼゼロ。
いわゆる自転車操業状態であり、いつ倒産してもおかしくない状況であった。
「倒産させてしまおう」
正直、最初に考えたのは「倒産」という結論であったのを今でも覚えている。

しかし、父の想いや弟のことを思うと、
簡単に倒産させるわけにはいかなかった。
どうすればいいかわからない苦悩はあったものの、
やるしかなかった。

「走りながら考えろ」
ふと、小さな頃からの父の教えを思い出した。
とにかく今は、考えてばかりではいられない。
走りはじめなければ何もはじまらないのだ。

そんなある日、
残された決算書や毎月の試算表をじっくり見ていると、
経営状況の問題点は資金繰りにあるのではないか、
という課題が見つかった。
「これなら改善できるかもしれない」
そう思った私は、会社の立て直しに向け、走りはじめたのだ。

経営は自分で何とかする。
現場の運営はもともと弟がやっていたため、任せられる。
「弟とふたりならやっていけるかもしれない」
二人三脚であることも、私を後押ししたのだ。

この決意の基、
私は秋田の介護事業と東京の不動産事業の二足のわらじを履き、
秋田と東京を行ったり来たりする、二重生活がはじまった。

両方とも片手間でできることではない。
二重生活といっても、両方とも100%以上の力で取り組まなければいけない。
特に介護の会社は、本格的な会社の立て直しのために、
財務状況の見直し、現場スタッフの教育、管理コストのカットなど、
やらなければならないことが山積みだった。

一つ一つ問題をクリアすることができたのは、
弟と力を合わせて取り組めたからだ。
会社の再建や立て直し、向上を目指す時などは、一人の力でなく、
協力できる「誰か」がいることの大切さを知ったのは、この時だった。

資金繰りの課題が落ち着いてきた頃、
次のステップとして事業規模の拡大と地域への貢献を経営方針として据えた。

攻めと守りのバランスをとりながら試行錯誤すること、約6年。
介護施設は4棟に拡大し、従業員は90名を超えていた。
売上、利益ともに右肩あがり。
秋田県内で、地元出身タレントを起用したCMを流し、知名度も上がった。

地元歌手のサポート、赤い羽根共同募金など、
地域や社会に貢献する活動も積極的に行った。
ワークライフバランスを積極的に推進し、
当時、厚生労働省認定の女性活躍推進企業認定「えるぼし」の最高位も取得した。
事業の成功により、多くの人に手を差し伸べることができることを実感した。

この時点で、会社の売上や従業員数は増え、
簡単に後戻りできないほどの企業規模になっていた。
ここで、弟と共に、1つの決断をすることになる。

企業規模のさらなる拡大を行うためには上場を目指し、
いままで以上にアクセルを踏む必要がある。
それが、東京の不動産事業の拡大のタイミングと重なった。

苦渋の決断とは、まさにこのことで、弟と共に、
色々と考えた末、事業承継することを決断したのである。

事業承継の準備をはじめてから約1年半。
ありがたいことに複数の上場企業から資本提携のお声がけをいただいた。
「地域貢献」をテーマに掲げていたこともあり、
その想いを貫き、地元の名士に引き継ぐことを決めた。

2019年、3月。
父が会社を設立してから、
ちょうど20周年の記念すべき年の出来事だった。

父からの引き継ぎもなくスタートした企業経営。
兄弟で力を合わせながら、色々な人に支えられたからこそ、やり遂げることができた。
父と祖父ともに商売家系であったため、
子どもの頃から自然と経営論や経営術が身についていたのかもしれない。

「走りながら考えろ」
この教えは、いまも私の人生やビジネスにおける大切な姿勢だ。

E-as株式会社の相続・事業承継 M&A事業。
これは、自らの人生をかけた経験からスタートさせたものだ。
正直、これらは、損得や理屈だけでは、うまくいかないことが多い。
だからこそ、実際に経験した当事者が事業を推進することの重要性を感じたのだ。

その想いを貫き、走り続け、考え続けながら、順調に前に進んでいる。
弟も秋田でM&Aコンサルティングの会社を経営している。

父の死。あの日から、私と弟の人生は大きく変わった。
困難なことも、たくさん経験した。
でも、それ以上に、たくさんの喜びがあった。
いまさら、と言われるかもしれないが、父に感謝している。

まだまだ先のことだが、空の上に父と私と弟が揃ったら、
ビジネスの話でも、ゆっくりとしてみたいものだ。

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■秋田県の会社訪問
https://www.bejob-navi.jp/interview.php?a=akita&d=1804&id=1

■赤い羽根共同募金あきた 平成29年
http://www.akaihane-akita.or.jp/pages/volunteer/555

■あきた女性の活躍応援ネット 
https://common3.pref.akita.lg.jp/jyosei/ikiiki/6523

■弟の会社「リライフ東北」
https://relifetohoku.jp/company/